東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

ジュビリー九州は地震津波及び原発被害地域の一日も早い復興を願い、各運営委員も支援の取り組みを行っています。そのためジュビリー九州の活動が遅延しておりますが、皆様のご理解をいただければ幸いです。
一方で債務問題を巡る状況は先進国・途上国を問わず深刻化しており、他団体とも連携しながら情報発信を進めています。今後も引き続きご支援のほど宜しくお願いいたします。

2010年10月18日月曜日

ギルゲル・ギベ・ダムプロジェクト

日差しのまぶしい午後の空にほこりが舞い上がる。巨大な機械が大地の上をゆっくりと動き回り、重い荷物を運んでいる。男たちはヘルメットをかぶり明るいオレンジの服に身を包む。彼らの周りには巨大な石の壁がそびえたつ。その高さは数百メートルにも達する。

男たちがいるのは人造の深い谷底。壁の上から見下ろせば、人の姿はまるで虫のようだ。彼らは世界で最も大きなダムの一つを作っている。エチオピアのオモ川に建設されているギルゲル・ギベ・ダムである。

その数百キロ南で、男たちが長い水草の生い茂る湿地の上で平らな木の船を走らせている。この部族の男たちは、タルカナ湖で漁を行っている。男たちは水の中に残されたわずかな種類の魚を捕まえようとしている。彼らは以前は農民だった。しかし水位の変化がその生活を一変させた。彼らが飼う牛に食べさせる草が極端に減っているのだ。その上、湖の塩分濃度が上昇している。更には、ギルゲル・ギベ・ダムが操業を開始すると、湖への水の流入量はますます減少することになる。部族の人々は、彼らの伝統的な暮らしが永遠に失われることを心から恐れている。

ギルゲル・ギベ・ダムプロジェクトの主な目的は、エチオピアに継続的な電力供給を行うことだ。建設業者は工事が2012年までに終わると予定している。ダムが完成すれば、1800メガワットを超える電力が生み出される。これはエチオピアの電力需要の8倍以上に相当する。それによって、エチオピア政府は余剰の電力を近隣諸国に売ることができるようになり、利益が生まれるのだ。

アディスアベバはエチオピアの首都である。現在、この都市では頻繁に停電が起こっており、ここに住む多くの住人を怒らせている。ナザレットというエチオピアのニュースサイトがある。そこでは、地元の市民がギルゲル・ギベ・ダムプロジェクトについて意見を掲載している。プロジェクトに対するエチオピアの人々の意見は二つに分かれている。しかしこのウェブサイトでは多くの人々がこの開発を賞賛している。

一人の少女はこう述べている。

「プロジェクトが成功と変化へのチャンスであると捉えるのは良いことです。賞賛はエチオピアの人々へ向けられるものです。彼らは電力がほどんど、またはまったくない中を生き延びてきたのです。これまでのアディスアベバはアフリカの大都市を名乗るにはまったく話にならないものでした。何年にも渡って停電に次ぐ停電が続いてきました。政府は電力をすべて輸出せずに、エチオピアで電力を必要とする人々を優先してくれることを期待します。」

また、継続的な電力供給によってエチオピアの農村部に住む人々の生活も改善させるだろう。デジェネはアディスアベバ近郊の村、ボレボボウラに住んでいる。彼は自分の子供たちの教育について心配している。

「子供たちにとって勉強は大事です。それには電灯が必要です。私たちは明かりがこの村に来ることを待っているのです。それによって私たちの暮らしは大きく変わるはずです。子供たちの多くはここから遠く離れた学校に通っています。子供たちが家に帰ったときには、もう暗くなっています。そのため暗闇の中で勉強しなければならないのです。」

エチオピアに電気が必要であることを疑うものはほどんどない。しかし、すべての人々がギルゲル・ギベ・ダムがその答えとして最良のものであると確信しているわけではない。長い目で見れば、ダムはこの国に悪い影響を与えるかもしれないと考える人々がいる。特にオモ川流域のことが懸念されている。この流域はダムプロジェクトの南に位置しており、川の季節的な流れの変化(洪水が起こりまた元に戻る)に依存している。数多くの部族がオモ川の傍で生活している。彼らの生活は何百年も変わっていない。

ムルシ族はこうした伝統的な民族の一つである。長年にわたり、彼らは川の命とその変化に合わせうまく機能する農耕手法を作り出してきた。マルコ・バッシはオクスフォード大で人類学の教鞭を執る。彼は何年もの間ムルシ族を研究してきた。それによると、雨季の間、ムルシ族の人々は高台の土地に移動し、洪水が来るのを待つ。洪水の水位が高いほど、水が引いたあとの土地はより肥沃になる。そのあと乾期が訪れると、ムルシ族の人々は牛をその肥沃な大地に移動させる。そして、豊かで湿った土に作物を植えつけるのである。マルコはこう述べる。

「外部の人間からすれば、これは非常に原始的に見えるでしょう。しかしそれをよく見てみれば、これらの人々が土地のことや、それがどうやって肥沃になるかについて非常に詳細な知識を持っていることに気付くでしょう。彼らは一年を通じて何が起ころうとも食料を確実に確保するために、どうやって作物を植えるべきかを知っているのです。」

部族の長はダムによって彼らの生活様式にとってとても重要な定期的洪水が起こらなくなることを恐れている。政府はダムが完成しても洪水はいつも通り続くと約束してきた。また、政府は洪水の時期や規模をコントロールすることで自然を改良できると言う。しかし、それでムルシ族の長を説得することはできなかった。ムルシ族は、もしダムが流域に悪い影響を引き起こした場合は水を供給するという政府の約束を信用していない。

アディスアベバ近くの村では、子どもが古びたオイルランプの明かりの下で宿題に励んでいる。その明かりは十分ではない。彼女は本に書かれた小さな黒い文字を苦労しながら読んでいる。彼女はいつの日か明るい電灯の下で本が読める日が来ることを待ち望んでいる。

オモ川流域では、ムルシ族の人々が川の洪水を待っている。彼らは今度の洪水の水位が下がることを心配している。どうやって牛を養ったらいいだろうか。作物を植えるのに十分肥沃な土地ができるだろうか。彼らの伝統的な生活様式はどうなるだろう。一つの国の中に二つの現実が存在している。だが、この数年先にこの両者のどちらの側も消えることなく存在し続けているだろうか。

(翻訳:高丸正人)

原文:
http://spotlightradio.net/listen/the-gilgel-gibe-dam-project/

0 件のコメント:

コメントを投稿