東日本大震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

ジュビリー九州は地震津波及び原発被害地域の一日も早い復興を願い、各運営委員も支援の取り組みを行っています。そのためジュビリー九州の活動が遅延しておりますが、皆様のご理解をいただければ幸いです。
一方で債務問題を巡る状況は先進国・途上国を問わず深刻化しており、他団体とも連携しながら情報発信を進めています。今後も引き続きご支援のほど宜しくお願いいたします。

2011年1月2日日曜日

ゼロ紙幣 ~人々の意識を変える新しいお金の使い方~

汚職は世界中で問題になっており、腐敗した政府役人や不誠実な人々が要求する権利のないお金を取り上げいる。汚職の典型的なパターンの一つが収賄である。わいろは非公式なものであり、大抵は違法なお金の受け渡しである。例えば、企業は不誠実な政府役人に対して、こっそりとわいろを渡すことで、政府から大きな契約を取り付けることができるだろう。

インドでは収賄が大きな問題となっている。インドの市民は、本来無料であるはずの多くの基本的サービスにおいて、たいてい小額のわいろを支払わなければならない。腐敗した役人は、インドの市民に「お茶代」を要求する。だが、お茶が出されたりはしない。人々は、役人が「お茶代」を要求する時、本当はわいろを要求しているのだと知っている。わいろを払わない市民は、重要な書類や許可申請、その他の申請を受けるために余分に長い時間を待たされることになるのだ。

インドの市民の多くは、日常の生活の一部としてわいろを受け取っている。だが、「フィフス・ピラー」はそれに反対する団体の一つである。フィフス・ピラーは、インド人一人ひとりがインドのわいろ文化を終わらせる力を持っていると考えている。ここでは、フィフス・ピラーと「ゼロ・ルピー紙幣」運動について取り上げてみたい。

インドの紙幣は7種類ある。一番小さな額は5ルピーで、一番大きな額は1000ルピーである。だが、フィフス・ピラーはそれとはまた異なった種類のルピー紙幣を印刷している。この紙幣は見た目は50ルピー紙幣にそっくりで、同じ大きさ、同じ色、表面には同じマハトマ・ガンジーの肖像がある。だが、フィフス・ピラーの紙幣は他の紙幣とはまったく別なものだ。紙幣の50の数字が書かれている場所には、0と書かれている。つまりフィフス・ピラーのゼロ・ルピー紙幣の価値とは、0ルピーということである。

ゼロ・ルピー紙幣を印刷することに意味があるようには見えないだろう。この紙幣は実際のお金ではない。何かを購入するために使うことはできないし、実際の価値を持つものではない。フィフス・ピラーはこの紙幣を利益のために印刷しているのではない。その代わりに、団体はこの紙幣をインドの収賄と戦うための取り組みの一つとして印刷しているのだ。ゼロ・ルピー紙幣を見てみると、普通なら「インド準備銀行」と書いてある場所に、「すべての腐敗を終わらせよう」と書いてある。また、「私は、わいろを送ったり、受け取ったりしません」と書かれている。

1997年、サティンダー・モーハン・バガートによってゼロ・ルピーは発案された。バガートはもともとインドの市民であったが、アメリカに移住し、仕事をしていた。バガートがインドに帰郷した際、数多くの収賄と汚職に遭遇し、彼は激怒したのである。こうして、彼はゼロ・ルピー紙幣を発案し、印刷することにした。彼のアイデアとは、彼にわいろを要求する者すべてにこの紙幣を手渡すことであった。

10年後、フィフス・ピラーはバガートのアイデアを知り、汚職と戦うためにゼロ・ルピーを使うことにした。2007年より、フィフス・ピラーは100万枚以上のゼロ・ルピー紙幣を印刷し、配布している。

フィフス・ピラー代表のビジャイ・アナンドはCNNに対してこう語っている。

「私たちの唯一の目標は、将来において汚職を完全に無くしていくことです。汚職は国の発展にとって最大の障害であり、私たちの文化において害悪となる習慣です。私たちはこの習慣を打ち破る必要があるのです。」

専門家の多くは、収賄が国民経済に悪い影響を及ぼしていると考えている。その上、国民経済の規模の小さなところは、大きな経済と競い合う力に乏しい。また、収賄は個人レベルでも悪い影響を及ぼしている。収賄のもっとも悪い結果とは、貧しい人々が被害を受けるということにある。

シャシー・サルーアはインド政府の人間であり、彼の持つウェブ・サイトは多くの人々に読まれている。その中で、彼はこう書いている。

「実際、私たちの国における汚職の最大の被害者は貧困層である。富裕層にとって汚職は大した問題ではない。中産階級にとっては、厄介なもの、と言ったところだ。だが、貧困層にとっては大いに悲劇となる。」

わいろに支払うお金が無くては、インドの貧しい人々は生きるために必要な物資やサービスを手に入れるチャンスがほとんどない。それこそが、フィフス・ピラーがゼロ・ルピーを非常に重要なものと考えている理由である。ゼロ・ルピーは、貧しかろうが豊かだろうが、個人が抵抗するために使うことのできるシンプルな手段である。

わいろはインドでは一般的とは言え、違法である。実際は、わいろを受け取った役人は逮捕され刑務所行きとなる。問題は、人々が、わいろを払わなかった場合どうなるか、ということをを恐れていることである。また、収賄は警察でも一般的なものであるために、通報することは無駄である、と思っている。

警察の助けがなければ、人々は戦おうにも孤立することになる。だが、ゼロ・ルピー紙幣によって、人々は役人の汚職を告発することなく、わいろを渡すことを拒否できるのだ。それによって、その人は腐敗した役人にわいろ要求の違法性を気づかせることになる。いつか、そうした役人たちが変わっていき、わいろの要求を止めることが望みだ。

とはいえ、ゼロ・ルピーを手渡すことは、単純にわいろを拒否することとどう違うのだろうか? わいろを受け取る側とて馬鹿ではない。彼らがそのお金を本物だと思うわけではない。ゼロ・ルピー紙幣が有効なのは、たとえ収賄が非常に一般的であろうと、インドではそれは犯罪だからだ。そして、ほとんどの役人は、逮捕されることはないだろうと考えるときにのみ、わいろを要求する。したがって彼らがゼロ・ルピー紙幣を受け取ったとき、彼らはそれを恥じ、逮捕されるかもしれないと心配する。ゼロ・ルピー紙幣は、犯罪を白日の下にさらすことで、それを弱体化させるのである。

アナンドは、国際ラジオ放送でこう語っている。

「ゼロ・ルピーを役人に手渡すとき、その市民は汚職と戦う大勢の市民の一人であるという強力なメッセージとなるのです。」

だが、ゼロ・ルピー紙幣は本当に有効なのだろうか。 アナンドはきっと、その通り、と言うだろう。フィフス・ピラーは非常に多くの成功事例を記録として保存している。一つの事例では、ラジェシュ・チャンドランと名乗るインド人男性のことを取り上げている。

彼は、全国紙の紙面で、マデュライからチェンナイへ鉄道旅行したときのことを語っている。

「列車にはいくつかのベッドがあったのですが、そこの乗務員は私になかなかベッドを与えてくれませんでした。彼は私に、もし私がわいろを払うならばベッドを与える、と言ったのです。私は彼にゼロ・ルピー紙幣を渡しました。私は彼の目を見て、私がわいろを渡すつもりはないことを分からせました。彼は取り乱し、恥じていたようで、数秒してから、ベッドを与えてくれました。」

ゼロ・ルピー紙幣はチャンドランのようなインドに住む多くの個人にとって効果を発揮している。今や、このアイデアは広がりつつある。他の国の団体も、それぞれの国においてゼロ紙幣の取り組みを始めているのだ。

(翻訳:高丸正人)

原文:
http://spotlightradio.net/listen/zero-for-tea-money/

0 件のコメント:

コメントを投稿